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『蝉神─せんしん』藤田泰彦 著
奈良新聞 平成20年(2008年)4月6日

再会した彼女は〝変態〟した 評者・嘉瀬井整夫(文芸評論家)

 私と、日裏冴和巳(ひうら・さわみ)との十七年ぶりの再開。私(平井)は、東京駅から新幹線に乗りS駅で降り、東海道本線の普通列車でR駅まで行き、そこからローカル線を利用して、四つ目の蝉神(せみがみ)という名の無人駅で降りた。
 改札口を静かに通りぬけると、アスファルトの道が続いている。にわかに、降りそそぐみたいに蝉の声がする。幻聴なのだろうか。夜なのにめまいを感じ、ベンチに腰を下ろさずにはいられなかった。彼女は果たして迎えにくるのだろうか。十七年という時の流れは、彼女をどう変えているのか興味があった。
 だが、実のところ、彼女との再会は、ためらわずにはいられなかった。いっそのこと、会わずにおこうか。彼女も、すでに四十に近いはずだ。私の思考は、どうしても過去にさかのぼる。あのころ、彼女は私の部下で、与えられた仕事を無難にこなしていた。そんな彼女だったが、今はどうなのか。
 そして、再会した私は、蝉神神社へ参詣する。村の上部に「蝉神神社」と黒い墨で記された板が張り据えられ、社殿には格子が設けられていた。そんな彼女が憑依(ひょうい)し、最後は天に昇る。「楕円(だえん)形状の虹が綾(あや)なす様相の冴和巳は空中で一時(いっとき)停止し、まるで勾玉(まがたま)にも似る姿に変化しあたかも見つめるようにする」。衝撃を受けた私は、あぜんとして見つけるほかはない。
 ともかく、このようなストーリーを展開せしめた著者の背景には、古神道、仏教、道教、東アジアのシャーマニズムを信奉し、アニミズムを日々の心のよりどころとしていることが、何よりの証左となっている。
 一見、横溝正史の世界を思わせるところもあるが、冴和巳が蝉神の変態について語るあたりは迫真だ。蝉は蝶(ちょう)や蛾(が)と同様に変態し、蛹(さなぎ)の状態で静止した仮死の期間がなく、土中から自力ではい出し、数時間で脱皮して成虫、蝉となる。屍(しかばね)は抜け殻に該当する。彼女の変態の奥義は、ここにおいて真実語られている。

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