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書評
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『千道安』斎藤史子 著
奈良新聞 平成20年(2008年)9月21日

娘の目通し波乱の人生語る 評者・嘉瀬井整夫(文芸評論家)

 とにかく冗舌体で、次から次へと言葉がつながっていく。父・千利休の子として生まれた千道安(せんの・どうあん)。茶道の家に生まれたしがらみと宿命の中で悶々(もんもん)と悩む。その姿を、娘の目を通して見事に描く。
 登場人物も多彩で、信長・秀吉はもとより、紹鴎・宗湛らの茶人をはじめ、長宗我部元親、三好長慶などの戦国武将が見え隠れする。戦乱の世に、いかに生きおおせるかは各人の実力と運が働くことは言うまでもないが、そんな中にあって、茶人たちも同じこと、生き延びることは必定であった。
 だが、父・利休の自刃は何もかもを狂わせ、後々までも尾を引くことになる。それにしても、秀吉の権勢をほしいままにする態度は全く許しがたいが、子の道安にとっても、父の死はいかにも無念であった。
 ここでは、運命に翻弄(ほんろう)される道安の苦悩は、痛いほど分かるが、しょせん運命に逆らうことはできぬ。編中、ほっとするところは、出奔(しゅっぽん)していた道安が、ひょっこりと帰ってくるところである。それも帰路の途中で茶碗を買ってくるところは、全く救われる気がするから不思議だ。
 茶碗は、茶人にとって命であろう。道安は道具屋が持ってきた一つの茶碗に見入ってしまう。すると、道具屋は「さすがに、お目が高い」というが、やはり茶人には、いいものが一目で分かるのである。
 ところで、本作品は茶人を描きつつ、戦国の世を余さずにとらえ、歴史絵巻の風情を添えていることはいうまでもないが、語り手としての娘の犀利(さいり)な眼が、全体のリード役として優れていることは、特筆すべきであろう。
 ともあれ、茶道を語り、歴史を語りながら政治の複雑な裏側にまで立ち入るなど、単調さを避けるために意外な工夫が施されていることも看取できよう。そして、読んでいて、うっかり見過ごしてしまう巧みなナレーションに感心した。茶の道はまた人の道でもある。

『千道安』斎藤史子 著
河北新報 平成20年(2008年)7月28日

茶の湯の精神性丹念に

 

『千道安』斎藤史子 著
週刊朝日 週刊図書館 平成20年(2008年)7月11日号

 茶人・千利休には道安という実子がいた。道安は茶人としても活躍し、利休の商いは継いだが、茶は再婚相手の連れ子が継承する。そこに何があったのか。道安の娘の視点で、利休の自刃や茶の湯の世界、道安を軸にした利休一族の盛衰を描いた小説。

『千道安』斎藤史子 著
中外日報 読書欄 平成20年(2008年)5月27日

〝父の茶〟超えよう…嫡男のもがき

 千道安(一五四六~一六〇七)は、千宗易(利休)の嫡男である。千家の本家である堺千家を継いだが、男子がなかったため道安の系譜は途絶えた。今日に続く三千家は、利休の養子である少庵から続いている。少庵は道安の義弟に当たり、両者は茶人として比較されることも多いが、道安関係の資料は少なく、今日伝えられているのは少庵側から見た道安像だとされる。
 著者はこれまで、茶人の世界を描いた『草庵に光さす・山上宗二異聞』と『幻の茶器・小説織田有楽斎』を世に問うてきた。
 これらの取材の過程で、利休の家庭の事情、前妻と後妻とその子供たちの確執を知り、利休の人間くささに親しみを覚えると同時に興味を持ったという。
 前妻の子である道安は、後に和解するも父利休と折り合いが悪く家を出て、茶の世界から一時距離を置く。利休の高弟・山上宗二の取りなしで茶の世界に戻る。道安の父の茶を超えようともがく生きざまや、少庵を千家に入れた父との確執、少庵に対する複雑な思いが織りなす人間模様が展開する。
 道安の心の葛藤(かっとう)を娘静の語りで描き、女性であるため父の茶を継げなかった静の無念の思いが行間ににじむ。

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