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書評
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『愛知県宝飯郡・前芝村のころ』庄田綾子 著
東日新聞 平成20年(2008年)6月26日

 豊橋市前芝町の旧家北河家六代の三作は明治16年、さかと結婚、三作はさかの弟2人を連れ、伊勢・桑名等渥美半島、三河、伊勢湾を航海して廻船業を営み、相当の財を成した。
 前芝では明治33年、北河文吉が製糸業に着手、三作の一人娘・さわは明治36年、渥美半島百々の旧家清水家12代・道太郎の弟・耕次郎を婿に迎え、耕次郎は日露戦争に従軍、功七級金鵄勲章をもらって中国から帰還、北河製糸場を始めた。
 耕次郎の兄・道太郎は■(記号に中)、いとこの熊太郎は■(○に中)製糸を始め、姉せいは夫と共に■(○に一)尾嶋製糸、妹てつは中神家に嫁いで■(記号に中)製糸、その妹きくゑは白井家に嫁■(○にキ)製糸を操業するなど、兄弟は皆、製糸一族となった。
 さわは8人の子を産み、明治37年に生まれた武が8代目を継ぎ、昭和6年生まれの昭男が9代目となった。
 著者の庄田(北河)綾子は昭男に続く長女として昭和8年に生まれ、昭和30年、商社マンの夫と結婚、上京するまで前芝に住んだ。
 昭和18年、企業整備で製糸を閉じた北河製糸は軍需工場となったが、19年12月の東南海地震では煙突が倒れ、操業できなくなった。
 武の妻で綾子の母・静子は千郷村稲木(現・新城市)の素封家・藤田家の出で、母の妹・まつゑは気賀の杉浦家に嫁ぎ、幼い綾子は新城、気賀に遊びに行った思い出がある。
 多くの女工さんがいた北河製糸の寄宿舎は2棟、土蔵もあり、父は女工集めのため、奥三河の山間地に足を運び、隠居した祖父・耕次郎は前芝・蛤珠手、小坂井・東漸寺の総代、神社の氏子総代を務め、跡を父・武が継いだ。耕次郎は昭和53年、102歳の長寿を全うした。
 前芝の歴史と一族の人々の思い出をつづった著者の庄田綾子の書道名は翠苑、田中松亭、前芝出身で遠戚(せき)の松下芝堂に師事、03年には日展に入選、名古屋に在住する現在も書道界の重鎮として指導に当たっている。

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