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『法顯傳 中亞・印度・南海紀行の研究』足立喜六 著
「奈良新聞」 平成18年(2006年)10月29日

漢文脈からあふれる臨場感 評者・嘉瀬井整夫(文芸評論家)

 明治の教養人であれば漢文を読むことは何でもなかったのであるが、残念ながら現代人に至ってはほとんどが至難の業である。ここに発刊された幻の名著・復刻版『法顯伝』は難解な紀行文であろう。
 その大要は5世紀の初頭、約17年にわたるインド求法の大旅行を、漢文をもって書かれたもので、それを書いたのが中国の僧法顯である。漢文故の簡潔さはみられるものの、その旅の困難さは行間からほとばしり、読者をして感動させ、また息詰まる思いをさせるものである。もっとも難解な個所には注解が付されてあり、全体の大意は把握できるようになっているが、何よりも日ごろあまり慣れていない漢文脈にふれることによって、かえって当時の臨場感が伝わってくるともいえるのではなかろうか。
 法顯の西域行路については、「敦煌を出発し、玉門陽関を出でて沙河を度(わた)り、17日間に約千五百里を旅行して鄯善国に到達したのである」と記されているが、現在の旅と違い恐らく難行を強いられたものであることは想像に難くない。また玉門関については「漢の玉門関は敦煌郡龍勒県の西北百十八里にあった。今の敦煌県の西門を出て党河を渡って砂漠に入り、約百六十支那里を行くと大方盤城に至る。此処には城趾も居民もなく僅かに廃垣があって、それが玉門関の故地であると信ぜられて居る」と記述されている。
 法顯の長途の旅の目的は何か。それは、律蔵の残欠を尋求し、あまねく聖蹟を訪ねることであったが、旅の困難は当初から覚悟の上であった。法顯は後に荊州の辛寺に至り寂したという。春秋八十六であった。こうした旅の記録は単に仏教のみならず、アジア史研究の貴重な宝となった。
 なお今回の復刻により、長い間求められていた江湖の願いに応じたものである、広くは仏教史における文献への供給の角度からみても大英断の快挙であったことはいうまでもない。また、巻末に添付された「法顯行路全圖」は旅の全体をふかんする上で便利。

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