価格
1540円(税込)
ページ数
150ページ
発行日
2024年7月17日
ISBN
978-4-86782-093-3
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茜!! 飛び立て世界へ
坂本周次
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リオ五輪女子体操ヘッドコーチ初の小説登場!
「この作品は、私が体操コーチとして経験した事を基にフィクションとして書きました。倉本コーチが私で、神代茜は体操の寺本明日香さんです。」
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人は失敗を経験し、悔し涙を流して努力し少しずつ成功に近づいていくものだと思います。
私も一九九六年アトランタ二〇〇八年北京、二〇一二年ロンドン、そしてリオデジャネイロオリンピックと四回のオリンピックに三人の選手を送り込みましたがオリンピックには出発できず、四度目で初めて選手と共にオリンピックにヘッドコーチとして出発することができました。
「諦めない限り希望はある」 この言葉通り私は諦めずに頑張りました。(あとがきより)
目次
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第一章 師との出会い
第二章 中学生チャンピオン・初の国際大会進出
第三章 世界選手権大会への出場
第四章 オリンピックへの道
あとがき
著者略歴
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坂本 周次(さかもと・しゅうじ)
京都府亀岡市に生まれる。京都府立亀岡高等学校在学中に体操競技部に入部。体操の魅力に取りつかれる。体操を続けたいと母親に頼み込み中京大学に進学。体操競技部に入部するが選手生活は僅か1年で終了。大学2年生より学生コーチとなる。
その当時オリンピック選手代表選考会等に笠松選手の帯同コーチとして参加させて頂いたことで一流選手を育てる仕事に就きたいと思うようになった。大学卒業後暫くして笠松氏に誘われテレビ局がスポンサーの会社に体操コーチとして就職。8年後、笠松氏が独立し、後を継いで体操部門の部長、ヘッドコーチに就任した。
12年後、指導していた橋口美穂選手が1996年アトランタオリンピックに日本代表選手となったが、著者の役割は国内最終合宿までで終了。オリンピックにコーチとして付いていくことができないという現実に直面する。この屈辱を期に「オリンピック日本代表コーチになること」が夢となった。
しかし翌年務めていた会社が事業縮小を行い体操部門は廃止となるも迷わず独立を決意し「レジックスポーツ」を創設、代表取締役となり名古屋市内に体操クラブを開業。2008年北京オリンピックに黒田真由、2012年ロンドンオリンピックに寺本明日香選手を輩出するがやはりコーチとしてオリンピックに行けなかった。
その後、更なるオリンピック選手を育成するため最新設備を備えた体育館を次々と建設。体操クラブを4校経営し会員数1000名、スタッフは30名を数えるまでになり、選手、指導者、審判育成にも力を注ぎ、世界選手権大会、ワールドカップ、アジア、東アジア、ユニバーシアード大会等数多くの国際大会に日本代表コーチとして世界を回り、そして遂に2016年リオデジャネイロオリンピックに寺本明日香選手が国内トップの成績で日本代表となったことで、夢であったオリンピックコーチに就任することが出来た。
に於いて日本体操女子は団体4位、寺本明日香選手は個人8位入賞を果たすことが出来た。
その後68歳で25年代表取締役を務めた会社を最初のオリンピック選手である橋口美穂(現:岡崎美穂)に後を継いでもらい退職。
現在は無職、年金生活者となり母校である中京大学体操競技部女子のコーチとして学生達とインカレ上位を目指してまた新たな夢を追いかけている。