価格
1980円(税込)
ページ数
260ページ
発行日
2024年9月30日
ISBN
978-4-86782-117-6
文芸批評の冒険 清水正とわたし
此経啓助
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勝の姓をもつ者が言うておる。和気清麻呂様も弓削道鏡様も善き人であらせられたと。
和気清麻呂が朋友とともに、歓喜し絶望し、苦難を乗り越え、深い想いに明日へ向かう力を得た、生涯でもっとも波瀾に満ちた冒険の日々を追体験してみましょう。
目次
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「私」とは何か―死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年― 清水正
Ⅰ マサシの空空空
マサシ外伝
マサシとドストエフスキー
運命は神の面をつけるか―マサシの『浮雲』論―
Ⅱ 清水正論
「全集」とアイデンティティ
「あちら側」のドストエフスキー論
続・「あちら側」のドストエフスキー論
「世間」にとらわれない男
続・「世間」にとらわれない男
両眼を潰さないオイディプス王
批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」
文学という出来事
義理と公憤
文芸批評の王道―夏目漱石から清水正へ―
Ⅲ 中心と周縁
ドストエフスキー体験
ドラえもんとロボット
松原寛先生の遺伝子
あとがき―「と」が結んだ友誼―
初出一覧
著者略歴
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此経啓助(これつね けいすけ)
1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FEN(在日米軍向けラジオ局)から流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥー(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガダ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。2003年、同学部教授。以後、大学人として生きる。2012年、同学部非常勤講師(定年延長)。2020年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。
【学術研究】 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。
【著書など】 『アショカとの旅―インド便り―』(現代書館)、『明治人のお葬式』(現代書館)、『都会のお葬式』(NHK出版)、『仏教力テスト』(NHK出版)、『東京お寺も~で』(共著/日本地域社会研究所)、『日本人のお墓』(共著/日本石材産業協会)、『図録・大チベット展』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『国際人事典』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『セルフ・ヘルプ・ガイド 創刊号』(雑誌編集長/西北社)……ほか多数。