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大動乱の中国近現代史 対日欧米関係と愛国主義教育
松岡祥治郎
- 動乱を経て急成長した近代中国!
今まさに米国と覇権を争う国家となった中国の近代史を分析し知ること
・・・・それがコロナ禍以後の日中関係を探る鍵になる! - 昨年末に中国武漢を発生源とする新型コロナウイルスの世界的感染拡大によって米中関係は決定的に悪化、なお覇権志向を強める中国とそれに批判的な米欧の分断も見え始めた。一方、中国経済の悪化も避けがたく、習近平体制のぐらつきも危惧されている。米国だけでなく、中国の経済や政治体制に大きな変化があれば日本への影響は計り知れない。日本は中国とどう向きあっていくのか重大な局面に立たされている。(「はじめに」より)
目次
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はじめに
第一章 清朝末期の列強侵入と大動乱(一八四〇~一九〇〇年)
一.アヘン戦争(英米仏の不平等条約強要、アヘンの浸透)
二.太平天国の乱(客家主導のキリスト教的国造り、軍閥の萌芽)
洪秀全と太平天国の樹立
続く太平天国軍と清朝軍・郷勇の戦い
太平天国の統治と凄惨な内紛
太平天国軍の立て直し、外国の姿勢
第二次アヘン戦争(アロー号事件)
太平天国の崩壊
天京(南京)陥落と住民虐殺
影響(高杉晋作の危機意識、孫文や共産党からの評価、軍閥の起源)
凄惨な戦いと虐殺の数々
三.日清戦争、変法運動の失敗、義和団の乱(半植民地化の完成)
日清戦争
列強による半植民地化
変法運動
義和団の乱(半植民地化の完成)
〈一九〇〇年の乱〉
〈連合軍の北京占領と大規模略奪〉
〈義和団残党討伐から講和へ〉
日露戦争
四.日本から学んだ光緒新政と近代化
光緒新政
日本留学と和製漢語
第二章 辛亥革命と国内混乱の時期(一九一一~三一年)
一.辛亥革命から五・四運動へ
革命への動き
辛亥革命
誤解される日本の「二一カ条要求」
袁世凱の死と軍閥の乱立抗争
反日の五・四運動
二.国民党による国内統一へ
中国共産党の誕生、日本との関係
軍閥大抗争と溥儀の退去
国民党の誕生と国共合作
国民政府の北伐開始
南京事件、共産党粛清の上海クーデター
南京国民政府樹立から第二次北伐の完了へ
日本人居留民襲撃の済南事件
コミンテルン謀略が疑われる張作霖爆殺事件
三.国内統一後の混乱
国内統一
「中原大戦」
共産党討伐の剿共戦
〈共産勢力の動き〉
〈長沙大暴動〉
〈剿共戦〉
第三章 満州事変から西安事件まで(一九三一~三六年)
一.満州事変から塘沽協定まで
満州事変
反日・反政府デモ、国民政府の統一化
上海事変(第一次)
満州国の成立と繁栄
熱河作戦から関内作戦へ
塘沽協定
国際連盟の裁定
二.第五次剿共戦と「長征」
第五次剿共戦の成功
「長征」
蔣介石の独裁体制
華北分離工作と日本人攻撃
三.西安事件による第二次国共合作の成立
蔣介石・共産党・張学良・ソ連の駆け引き
西安事件(その一)
西安事件(その二)
第四章 日中戦争の時期(一九三七~四五年)
一.日華事変
国民党の対日戦準備と日本の対中政策の見直し
抗日戦前夜
盧溝橋事件
現地停戦合意と日本の華北派兵決定
中国側臨戦態勢の本格化
郎坊・広安門事件、支那駐屯軍の総攻撃、日本軍の増派決定
日本人を惨殺凌辱した通州事件
二.上海事変(第二次)
蔣介石の上海戦準備と日本の和平工作
ドイツとの蜜月関係
上海事件(第二次)
ソ連の軍事援助
中国軍の蛮行と焦土作戦
三.華北の動き
日本軍の北支作戦
共産軍の国民軍入りと毛沢東の対日消極戦略
保定作戦、共産八路軍の平型関まちぶせ戦
四.南京攻略戦
蔣介石の南京防衛と遷都の決定、日本軍の南京接近
南京の大混乱と中国軍の焦土作戦
蔣介石の脱出と無政府状態
南京城総攻撃
唐生智の陥落前脱出による中国軍民の悲劇
城外、逃亡兵の反撃と捕虜の釈放
城内、安全区の掃討
〈安全区の掃討〉
〈市民の安堵と入城式〉
占領行政と市民生活の回復
〈兵民分離工作〉
〈南京特務機関と南京自治委員会〉
〈現地調達〉
〈食糧供給、人口増加、安全区国際委員会の解散〉
〈中国兵遺棄死体の埋葬事業〉
国際委員会と日本兵犯罪報告
「南京虐殺」の創作
戦後日本占領期に捏造され現在まで続く「南京大虐殺」
五.徐州会戦と漢口攻略戦
「蔣介石を相手とせず」声明
中国軍「大勝利」の台児荘の戦いから徐州会戦へ
〈中国軍機の九州「爆撃」〉
蔣介石の黄河決壊作戦
漢口攻略戦
六.蔣介石の国際戦略
蔣介石の外交戦略と国際情報戦
〈「南京虐殺」への工作〉
国民党のアメリカ化とキリスト教
七.一九三九年
対日和平へ動く汪兆銘
一九三九年の日本軍の作戦
華北の共産ゲリラ戦と日本軍
〈作られる日本軍「三光作戦」〉
共産党の動きと国共の衝突
八.一九四〇年
宣昌攻略作戦
北部仏印進駐
「桐工作」の失敗と汪兆銘国民政府の発足
共産党軍大勝の「百団大戦」、毛沢東の日本・汪政権との共謀
九.一九四一年
皖南事件
日本軍の「短切なる作戦」
日米開戦
一〇.太平洋戦争期(一九四二~四五年)
一九四二~四三年の動き(蔣介石、スティルウェル、宋美齢、シェンノート)
中国共産党の反蔣介石工作と清風運動
蔣介石の苦境とカイロ会談
続く蔣介石の苦悩
「一号作戦」と米空軍の活躍
共産軍の状況
アメリカ延安訪問団と低下する蔣介石評価
スティルウェル更迭とウェデマイヤー着任、蔣介石の自信回復
終戦
一一.中国共産党による日本兵捕虜の思想改造と日本人の反戦活動
毛沢東の日本二分論と共産党の日本兵捕虜政策
「日本労農学校」
日本人反戦組織
日本留学組の活用
第五章 国共内戦と中華人民共和国の初期(一九四五~五七年)
一.国共内戦と中華人民共和国の成立(一九四五~五〇年)
(一)日本軍占領地・武器の争奪戦とアメリカの調停(一九四五~四六年六月)
日本軍降伏直後
国共停戦合意を無視した満州接収戦
難航するマーシャル調停
(二)国共内戦第一段階(一九四六年七月~四七年六月)
マーシャル調停の挫折
〈台湾二・二八事件〉
内戦の本格化
(三)国共内戦第二段階(一九四七年七月~四八年六月)
共産軍の攻勢
餓死三〇万人の長春封鎖
(四)国共内戦第三段階(一九四八年七月~五〇年六月)
遼瀋会戦(一九四八年九月~一一月)―共産軍の満州制覇
淮海会戦(一九四八年一一月~四九年一月)
―共産軍が中国北部・中央部で勝利
北津会戦(一九四八年一一月~四九年一月)―共産軍の内戦勝利
蔣介石の台湾への脱出と最後の闘争(一九四九年~五〇年六月)
両軍の過酷な実態と内戦の犠牲者
二.国民党残留勢力・反共産勢力との闘争(一九五〇~五七年)
「反革命鎮圧運動」と「三反五反運動」(一九五〇~五二年)
「百花斉放・百家争鳴」から「反右派闘争」へ(一九五六~五七年)
第六章 中共政権による日本兵捕虜の洗脳と軍事裁判(一九五〇~六〇年代)
一.林航空隊の思想改造
林航空隊の投降と前田光繁
思想改造工作と共産党空軍建設への協力
二.「通化事件」―日本人犠牲者四〇〇〇人
共産八路軍の支配下に入った通化
八路軍への攻撃
八路軍の日本人大量殺害と「通化事件」の捏造
三.山西省日本軍残留部隊の国民党への協力
閻錫山の第一軍残留工作
「暫編独立第一〇総隊」の編成から人民解放軍との戦闘へ
太原戦犯管理所の認罪工作
四.撫順戦犯管理所での洗脳・思想改造
ソ連から中共への日本人「戦犯」引き渡し
撫順戦犯管理所
ハルビン呼蘭監獄での日本人洗脳の開始
再び撫順戦犯管理所、認罪運動へ
東北工作団による「認罪坦白」と「尋問調査」
〈尉官クラス以下への認罪工作〉
〈将官・佐官クラスへの認罪工作〉
鬼の姿を創作させられる「手記」
戦犯の起訴準備と「参観学習」
五.中国共産党政権による軍事裁判
軍事裁判へ
特別軍事法廷
毛沢東の日本観、裁判後の戦犯取扱い、中帰連
第七章 死者四五〇〇万人の「大躍進」(一九五八~六二年)
一.「大躍進」政策
大躍進運動
人民公社の建設
大躍進のために疲弊する農村部と飢餓の兆候
廬山会議と彭徳懐の排除
大躍進の終息とインド攻撃戦
二.大躍進による経済・社会の破壊
大躍進失敗の人為的要因
農業と農村の破壊
工業や商業の破壊
建築物や自然の破壊
厳しい格差とモラルの崩壊
三.暴力と飢餓と犠牲者
人肉まで食べる生き残り策
生き残りの暴力、暴動
農村からの脱出
犠牲者たち
強制労働収容所
死に至る暴力や拷問
運動の軍隊化と暴力、戦慄の地
死者数
隠蔽される大飢饉の現実
第八章 毛沢東の文化大革命(一九六六~七六年)
一.文化大革命の伏線(一九六一~六五年)
大躍進政策の見直しと毛沢東批判
毛沢東は戯曲『海瑞罷官』を利用する
マリノフスキーの毛沢東排除発言と毛沢東の劉少奇打倒決意
二.文化大革命の開始(一九六六年)
姚文元論文で学術論争を仕掛ける
毛沢東の画策
「五・一六通知」で始まる文化大革命
壁新聞と紅衛兵
第八期一一中全会での文革綱領と新指導部
毛沢東の文革号令で暴走する紅衛兵
劉少奇の職務停止と毛沢東の「全面奪権」決意
三.「全面奪権」闘争(一九六七~六八年)
「一月革命」「二月逆流」から全国の「革命委員会」へ
紅衛兵の変化
武装闘争
「大連合」への転換
劉少奇問題の最終決着
紅衛兵の消滅
四.毛沢東の林彪排除(一九六九~七一年)
第九回党大会(一九六九年)、一応の文革終息
毛沢東と林彪の対立の萌芽
国家主席問題から林彪追い落しへ
林彪事件(「九・一三事件」)
五.周恩来の排除(一九七二年~七六年)
毛沢東の心配、ニクソン訪中、周恩来への権限移譲発言の後悔
周恩来の林彪極左批判を叩き孔子批判を利用する
周恩来外交叩きから批判の本格化、「四人組」の形成、鄧小平の復活
「批林批孔」運動
周恩来の病状悪化と最後の仕事、鄧小平の党副主席就任
鄧小平の「全面整頓」と鄧小平に対する批判
周恩来の死
第一次天安門事件、鄧小平の失脚、毛沢東の死
文化大革命の総括
第九章 鄧小平による改革開放の時代(一九八〇年代~九〇年代前半)
―政権主導の歴史認識と愛国主義、日中関係、天安門事件
一.毛沢東時代の歴史解釈
毛沢東の日本軍評価と対日姿勢
毛沢東時代の中国共産党の歴史認識と党史編纂組織
二.鄧小平の復活と日本の支援、歴史解釈の大転換
日本からの学習と日本の支援
鄧小平の実権掌握と思想論争、愛国統一戦線・愛国主義教育の提起
毛沢東の誤りを認めた一九八一年歴史決議
三.抗日戦争の歴史化
「文史資料」と戦争記憶
歴史教科書問題で発見した対日歴史批判の効用
抗日戦争史研究の構築
一九八五年の抗日戦争勝利四〇周年記念行事と反日学生デモ
鄧小平の対日不満
一九八六年学生民主化要求デモと胡耀邦の失脚
盧溝橋事件五〇周年記念事業、抗日戦争と民族統一論、日本軍国主義復活論
四.天安門事件で始まる愛国主義教育
胡耀邦追悼集会から民主化運動へ
天安門事件
天安門事件後の体制立て直し ─愛国主義、経済発展重視、外交姿勢
江沢民による愛国主義教育への準備
抗日戦争研究体制のさらなる組織化
五.愛国主義教育キャンペーン
愛国主義教育政策の決定
「徳育」を中心にした学校教育の枠組み
愛国主義教育キャンペーンの展開
愛国主義教育の効果
第一〇章 大国化した中国の反日姿勢(一九九〇年代~)
一.反日キャンペーン
日本の謝罪と反日歴史認識外交
反日の高まり、胡錦濤政権の誕生、高度成長と社構造の変質
「対日新思考」の挫折と反日活動の継続
二〇〇五年の大規模反日デモ
抗日戦勝六〇周年の日本侵略史研究
胡錦濤の政権基盤確立と大国ナショナリズム、安倍首相の訪中
日中歴史共同研究と「南京大虐殺」
二.習近平政権の「南京大虐殺」利用
「南京大虐殺」キャンペーン
米国における「南京大虐殺」宣伝
ユネスコ記憶遺産や従軍慰安婦像も
三.中国歴史教科書の日本軍残虐行為
中国の歴史教科書
歴史教科書が書く日本軍の暴行・残虐行為
あとがき
主要参考文献
著者略歴
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松岡祥治郎(まつおか しょうじろう)
熊本県生まれ、東京大学経済学部卒業。
1999年まで農林中央金庫勤務(ロンドン駐在、営業部長、国際企画部長、検査部長)。
その後数社の役員を経て現在ソフト開発会社監査役。
主な著書
『戦前アメリカの対日関係 ─アメリカはどのようにして対日戦争に至ったか』(文芸社、2010年)
『連合国の太平洋戦争 ─アメリカはどのように日本を降伏させたか』(文芸社、2011年)
『アメリカの日本占領 ─戦後日本の出発点とマッカーサー』(創英社/三省堂書店、2014年)

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