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価格
1760円(税込)ページ数
302ページ発行日
2022年2月17日ISBN
978-4-86265-946-0マスコミ掲載・書評
男の隠れ家で紹介
善光寺と諏訪大社 神仏習合の時空間
長尾 晃
- 二つの寺社に残された多くの文字が幾重にも「史集」の地層となり、驚くほどの「歴史」が霧の中から現れてくる。歴史愛好家必読の書。好著である。(小説家・佐藤洋二郎)
- 善光寺「御開帳」と諏訪大社「御柱祭」―明治5年(1872)以来史上2回目、150年ぶりの同年開催の年に、その知られざる関係、神秘の歴史に迫る!
目次
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第一章 善光寺と周辺十諏訪社との整合的関係
信州を代表する寺社、善光寺と諏訪大社
諏訪大社御柱の結界構成
四つの鎮守社による善光寺御柱結界
今は無き、善光寺境内の三つの諏訪社
善光寺と関係深い、三つの境外諏訪社
善光寺周辺十諏訪社による不可思議な構成
第二章 善光寺ルーツとしての諏訪大社
東洋の龍脈、西洋のレイライン
学術的にも認知されつつある、レイラインの概念
善光寺を巡る十諏訪社の結界とレイライン
諏訪大社奥宮へと伸びてゆくレイライン
諏訪善光寺を通過するレイライン
アナログ式角度測定から、デジタル方式へ
諏訪大社神体山へと到達するレイライン
諏訪大社二社四宮の中心交点と交差するレイライン
善光寺諏訪大社レイラインと二つの御柱結界
善光寺と諏訪大社の不可思議な関係の真相とは?
第三章 新旧学説にみる、善光寺と諏訪大社の密接な関係
近年における善光寺研究の成果
新たな通説&常識 = 善光寺は諏訪大社の神官一族によって創建
室町時代における、善光寺と諏訪大社の関係説
明治時代における、善光寺の諏訪社起源説
昭和戦前における、善光寺の諏訪社起源説
諏訪善光寺に伝わる、善光寺の諏訪社起源説
善光寺縁起から垣間見える、初期善光寺と諏訪社との共存関係
第四章 お伽噺としての善光寺縁起
そもそも、善光寺縁起とは?
架空のキャラクターであった本田善光
「我が国で最初の仏像」が、なぜか釈迦一仏から阿弥陀三尊へ
善光寺縁起の目まぐるしい内容変遷
お伽噺としての善光寺縁起
第五章 根強く伝承されている善光寺東向き説
善光寺東向き説の諸相
江戸時代後期の南向き善光寺
善光寺は近世を通じて、常に南向きであった
中世の鎌倉時代後半以降、善光寺は南向きであった
第六章 東向き善光寺は、長野市権堂に存在していたか?
東向き説の謎を解く鍵は、郡寺時代の初期善光寺
県町には水内郡家があり、後町近辺には郡寺善光寺があった
後町のとなり、権堂町に郡寺善光寺があった?
古代川原寺式瓦の発掘地との整合性は?
そもそも、古代の善光寺は瓦葺きであったのか?
権堂町の東向き善光寺「後方」に「後町」があった
東向き善光寺と、北向き表参道は、両立しえたのだろうか?
第七章 東向き阿弥陀堂としての、宇治平等院と信州善光寺
東向き阿弥陀堂の代表、宇治の平等院鳳凰堂
平等院と関係していた平安時代後期の善光寺
平安時代後期より、三井寺末寺であった平等院と善光寺
三井寺関係者によって編纂された元祖「善光寺縁起」
阿弥陀堂建築の規範であった、東向き平等院鳳凰堂
東向き平等院鳳凰堂にも、正面参道はなかった
平等院の配置計画にも関わっていた大江匡房
善光寺の所在地・信州とは、関係が深かった大江匡房
善光寺縁起と、小倉百人一首、明月記、そして池亭記
第八章 善光寺と関係があった中尊寺と法勝寺の、東向き阿弥陀堂
平安阿弥陀堂建築の双璧、平等院鳳凰堂と中尊寺金色堂
古代より、善光寺と関係があった中尊寺
善光寺と同様の構成にあった、中尊寺の東向き阿弥陀堂
善光寺と関係があった法勝寺の、東向き阿弥陀堂
浄瑠璃寺と浄土寺の、東向き阿弥陀堂
東向き阿弥陀堂が併せもつ、絶妙な空間的効果
第九章 平安阿弥陀堂の荘厳と、善光寺阿弥陀堂の荘厳
平等院、中尊寺、法勝寺の荘厳世界
ゴンドウと呼ばれていた、荘厳な善光寺金堂
平等院東方にはアサヒ山があり、善光寺西方にもアサヒ山があった
「如来之御山」として神聖視されてきたアサヒ山
平等院影響下の、無量光院~金鶏山の軸線と、善光寺~朝日山の軸線
第十章 水内大社、水内郡寺、善光寺阿弥陀堂の共存
南向きに建てられていた水内郡寺
本堂と共存していた、平安時代の阿弥陀堂
郡寺発祥善光寺と共存していた、善光寺阿弥陀堂
水内大社と共存していた、水内郡寺善光寺
「社地説」が裏付ける、水内大社と水内郡寺の共存関係
水内大社は、水内郡家となりの諏訪町にあった
水内大社と東向き阿弥陀堂の間にあった、水内郡寺
水内郡家・水内大社・水内郡寺の共存から、東向き阿弥陀堂の建立へ
第十一章 釈迦仏と阿弥陀仏の共存から、本尊阿弥陀仏の単独化へ
郡寺善光寺の釈迦仏と、善光寺阿弥陀堂の阿弥陀仏
本尊が、阿弥陀仏へと入れ替わっていた平等院
浄瑠璃寺でも、本尊が阿弥陀仏へと入れ替わっていた
阿弥陀仏が本尊へと昇格していった平等院、浄瑠璃寺、善光寺
阿弥陀仏と釈迦仏の前に立てられている、二本の回向柱
諏訪社御柱結界の中心に立てられている中回向柱
第十二章 権堂から移転後の、神社のような善光寺境内
善光寺権堂伽藍の焼失と、その後の境内移転
なぜ、権堂にあった善光寺境内は、移転することになったのか?
なぜ、権堂時代の記録が残されていないのか?
三井寺僧の作画説がある「一遍聖絵」
三井寺僧が詞書を記している「遊行縁起」
「一遍聖絵」の善光寺本堂が、横長であった理由
寝殿造を模したような、雅な造りの善光寺本堂
神社のような様相を呈していた、中世善光寺境内
善光寺境内の瓦葺きは、近世以降の産物
神社建築のような善光寺本堂
第十三章 四天王寺式の、伽藍と縁起の時代
三井寺と同様のロケーションに定着した善光寺境内
南向きの四天王寺式伽藍にならった、新転地の南向き善光寺
三井寺と酷似していた、善光寺の伽藍配置
三井寺金堂とよく似ていた、再建後の善光寺本堂
善光寺伽藍と善光寺縁起の、矛盾解消策として
中世善光寺縁起に突如として出現した、聖徳太子と物部守屋
善光寺縁起における、聖徳太子と物部守屋の導入経過
善光寺如来と聖徳太子との往復書簡の真相
第十四章 本寺三井寺と末寺善光寺の影響関係
三井寺と共通する、善光寺の「三国伝来」「絶対秘仏」
三井寺と共通する、善光寺の「生き仏」伝説
天台宗三井寺から、天台宗善光寺への影響
三井寺明尊ゆかりの名建築をベースにしていた、善光寺本堂
檜皮葺き屋根の伝統をもつ、三井寺と善光寺
善光寺と、三井寺と、平安歌人たち
三井寺流神道と、善光寺流神道
三井寺流鎮守社配置から、善光寺流鎮守社配置へ
第十五章 水内大社の後身であった、善光寺北向き諏訪社
善光寺の中心鎮守社であった北向き諏訪社
なぜ年神堂が、水内大社の後身であると誤認されたのか?
「年神堂=水内大社の後身」説の諸相
北向き諏訪社から年神堂へ、そして健御名方富命彦神別神社へ
第十六章 火防と鎮魂の物部守屋柱
荒安の地から伐り出された、善光寺本堂内の守屋柱
善光寺の火防神であった、荒安の飯縄神社
度重なる火災に悩まされていた、当時の善光寺
四天王寺の守屋柱に倣った、火防と鎮魂の守屋柱
物部守屋を悪しざまに断罪し続けてきた、善光寺縁起
本来は無関係の物部守屋を、善光寺縁起に悪用してきた呪いか?
祟り神としての物部守屋を祀っている、善光寺の守屋柱
第十七章 守屋柱+回向柱 = 一心同体柱
もう一本の聖なる柱 = 回向柱
「回向」の語がもつ、二つの意味
追善供養の卒塔婆と同じ梵字が記されている回向柱
江戸時代の回向柱は、五輪塔を模した〝五輪柱〟であった
善光寺と深い関係にあった深川「回向院」は「供養院」の意
守屋柱と回向柱は、一心同体の供養柱
幕府の肝煎りで急遽、善光寺本堂再建の責任を担わされた松代藩
再建なった善光寺本堂建築に対する、松代藩の思い入れ
回向柱の奉納によって存続してきた祭祀システム
守屋と回向の二本柱 = 善光寺式御柱の再来
第十八章 善光寺〝女人救済〟のルーツは〝諏訪〟にあり
如是姫や皇極天皇が登場する善光寺縁起
善光寺とは本来関係のなかった如是姫と皇極天皇
〝女人救済〟のルーツ「善光寺大本願」
大本願初代は「諏訪神社社家の金刺氏系なる斎藤神官家の出身」
十五世紀の創設とみられる善光寺大本願
浄土宗(大本願)の導入は、三井寺末寺(天台宗)の終焉以降
大本願上人にまつわる古代伝承
大本願初代尊光尼公は、金刺若島の子孫か?
欽明天皇金刺宮に仕えていた金刺氏の祖先
古代善光寺に見え隠れする金刺宮の存在
第十九章 本田善光 = 善光寺本尊の垂迹神
善光寺の寺名から生み出された、本田善光のキャラクター
本田善光は、誉田別命(善光寺本尊の垂迹神)の化身
男神像・女神像としての本田善光三卿像
阿弥陀三尊像と本田善光三卿像との、パラレルな関係性
なぜ、本田善光の前身として、本太善光が存在していたのか?
八幡神(誉田別命)とは隣接関係にあった善光寺本堂
北向き諏訪社の廃絶と、年神堂の躍進
八幡社(旧年神堂)と近接している本田善光廟
善光寺周辺における、諏訪神と八幡神との密接な繋がり
本田善光の前身「若麻績東人」のモデルであった金刺若島
善光寺周辺の若麻績姓についての考察
若麻績東人の前身「秦巨勢」のモデルは、秦氏と巨勢氏
第二十章 重層的な諏訪社結界による、善光寺ガード
「善光寺如来の守護神」としての守田迺神社
魔方陣のような諏訪社結界
六諏訪社魔方陣と長野市四大拠点
諏訪社カゴメ紋に抱かれる善光寺御柱結界
諏訪神事としての、善光寺「神道ノ源秘儀式」
諏訪社による重層的な結界護持
全国でも屈指の、神仏融合寺院
善光寺ルーツから善光寺ガードへ
人々の祈りのネットワーク
引用文献一覧
模写した古絵図出典
その他の挿図参考資料
あとがき
著者略歴
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長尾 晃(ながお あきら)
歴史文化研究家・建築家
1965年 長野県生まれ
1990年 東京藝術大学大学院美術研究科(建築専攻)修士課程修了
1996年 長尾晃建築研究所設立
著書に『善光寺コード~諏訪御柱の守護秘術~』『千少庵茶室大図解~利休・織部・遠州好みの真相とは?~』『神秘なる乙女の画家の物語~信州松代藩・恩田緑蔭アンソロジー~』『堀辰雄のキリスト教~二人の多恵子と聖テレジア~』(草思社文芸社W出版賞銀賞受賞)等があり、建築設計作としては「象山神社収蔵庫・客殿」「篠ノ井福音自由教会礼拝堂」「北鎌倉山崎の家」「松代のアトリエ」等がある。
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