文藝・学術出版鳥影社

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海と風と光のなかに あらすじ

 舞台は三重県熊野、主人公亮はそこで生まれ育った。物語は彼が大学受験のために上京するところから始まるが、すぐに少年時代への思い出へと連なっていく。その思い出の場面に登場するのが、彼にとって生涯を決する女性、有希である。しかも有希は彼の従姉弟である。
 このように物語は、実は従姉弟同士の愛の物語なのだが、二人の愛の歩みは平板なものから程遠い波乱に満ちたものである。主人公亮は、人生にもがき、試行錯誤を繰り返しながら、のたうつように進んでいく。それでも亮は人間の真実を決して見失うことがない。この作品は人生をまっすぐに生きぬこうとする一人の青年を描いた見事な教養小説である。
 愛することと性欲の狭間に翻弄されながらも、それらが一つでなければならないことを従姉妹の有希を通して学んでいく。これほどの至純な愛が現代にあるのだろうかと思うほど、これは純なる愛の物語である。
 主人公亮の性の目覚めは意外に早い。小学四年生のとき、有希の家に魚を届にいって「二人っきりの秘密」をもってしまう。このことが二人の人生を決定的に方向づけるのである。
 「………これまで一度も経験のない荒々しい昂ぶりが芽生えた。体の底から突き上げてくる衝動は、抑えようもなく強くなっている」。物語の最後のところで明かにされるが、有希の亮に対する想いは、男としての亮への想いと共に、姉として、何より母を失った亮への慈しみの気持が込められていて、それが有希という女性をなにか観音菩薩のように尊い存在にさせている。亮も母に対する思慕を有希に重ねているところがあるに違いない。従姉妹という肉親であるのと同時に異性であり、愛の対象となっても差し支えないぎりぎりの位置にいる者同士が、ためらいながら、思慕しあう様子がなお一層切なく、まるで通奏低音のように作品を一貫して流れる。
 それにしても初めて有希の体に触れたときの心の高まりはいかばかりか。「有希ちゃんの馬鹿!」といいながらも有希の柔化で弾力のある体を触ってしまう亮。そして有希は亮に唇を重ねてしまう。中二の女の子が小四の男の子に唇を重ねるだろうかと思うが、そういうこともあるかもしれない。
  高校生のとき音沙汰のなかった有希が突然訪ねてくるが、ここでも亮はうまく有希に対応できない。素直に本心を開くことができないのである。むしろ逆の態度をとってしまう。純な青年にありがちなそういう心理描写も巧みである。そして大学合格が決まり、いよいよ有希と別れる日がやってきて二人は最後のデートをする。
 飲めないビールを三本も空けて映画館に入り、有希に対する思いが爆発しそうになる。映画館を出て、ゆくあてのないドライブをしながら、二人は体を合わせる場所を無意識に探す。作品の隅々に配置された自然描写も見事である。山中でも二人は体を合わすことができず、悶々として海に出る。互いに体を求めたい、しかし、それを押しとどめるものがある。普通の恋人どうしだってそうだろうが、なにしろ彼らは従兄弟の関係にある。その感情の揺れ動き、起伏が、読むものの胸に迫まる。そしてついに、浜の草むらで二人は一糸まとわぬ姿になって求め合う。亮は有希を抱くときの驚くべき表現がある。「………再び横になった。この世に生まれ出る遥か遠くの昔を愛惜する思いで、仄白い胸元から腹部を撫でた」。
 どんなに深い思いで主人公亮が有希を抱いたか、この一言がすべてを物語っている。そして最後の別れの時、列車の窓ガラスから「有紀さん、ありがとう」と、亮の口からやっと素直な言葉が洩れるのである。この愛こそ、真の愛と性であって、むしろ自信と充実感さえ亮は覚えるのである。
 ところが、その晩、亮はとんでもないことを耳にしてしまう。愛しあった有希は勤めている銀行の男と結婚することが決まっているというのだ。上京する前の晩である。そのまま亮は東京に出て違和感と混沌を抱えながら過ごすのだが、そういう感情のそもそもの発端は、この瞬間にあるのだろう。
 「亮の目は一点に釘付けになった。錯乱する頭に全神経が集中されるが意味は曖昧として、何も見えず何も浮かばない」。自分は東京に行ってしまう。亮としても有希としても互いを結びつけるものは何もなく、互いに待つという約束をしたわけでもない。有希は、真実の愛の証を、結婚の前に亮と交わることで確かめておきたかったのかもしれない。それがさらにとんでもない事態を引き起こすことになるのだが、すでに、この辺に伏線が貼られていて、プロットも実に巧に練られていると思わざるを得ない。亮という青年がまことに誠実だと思われるのは「有希に対する罪の意識が一番大きな原因になっている」と書かれている。彼は己自身を責めているのである。
 上京してからの亮はもうもぬけの殻であって、有希とのことを引きずったまま自暴自棄状態であった。亮は東京という都会に、あるいは大学に違和感を覚えたまま、なかなかそこから脱することができない。何人か友人らしき存在も得たけれど心を開くには至らない。
 そんな自閉的な日々の生活の中で、一人だけ亮の気を惹く女性がいた。弁護士を目指して黙々と勉強する女学生である。その彼女と合コンで再会し、浮わっついた連中ばかりの中で彼女だけが他の連中と一線を画しているように見えた。そしてしばらくし、たまたまバス停で彼女と一緒になった亮は、その人からとんでもない相談をもちかけられる。かなりの金額の金を貸してほしいという。ちょうど台風十七号が接近して天地も荒れ模様になり始めたときであった。彼女から「お金貸してほしいの」と言われた亮は「………一瞬、彼女の恥部に触れた、と錯覚するほど甘い感覚に陥ったのだ」と書かれている。この部分も男というものの心理を実に鋭く突いている。彼は父から預かっている定期を解約して、おそらく百万円と思われる新札の束を懐に彼女との約束の場所に向う。ところが、まったく、思いもしない事態がここで生じてしまう。読み手を驚愕させる、予想もしない展開である。むろんその中身は本文を読んでもらうしかない。
 自分に対する恐ろしい侮蔑と屈辱。何もかもが破局を迎え、終焉を告げ、アパートに閉じ篭って虚しい時間を過ごす。その混沌、そのうめくような苦しみ。だが、事態はさらに思いがけない方に展開する。何と結婚したはずの有希から電話があったのである。彼女の電話の声は震え、涙で詰まり、衷心からの叫びにも似た訴えであった。その内容も本文を読んでいただこう。亮はこの瞬間、有希こそが「永遠の女性」であることに、生涯でただ一人の女性であることに初めて気づくのである。ここは実に感動的で、これほど眞実の愛が今時あるだろうかと思えるほどだ。この時、亮は決心する「郷里の家に帰ろう」と。
 そして帰郷し、いよいよ有希に会いに出かけるが、ここでも大きなドンデン返しが用意されている。

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