HOME>善光寺コード
善光寺コード 諏訪御柱の守護秘術
長尾 晃
-
秘められた守屋柱・回向柱・御柱の連環
「幾多の古文献や絵図に鏤められているコード(暗号)を丁寧に拾い上げ、その一つ一つを解読してゆくことで、善光寺の秘められた真相とでもいうべきものに、少しでも近づくこと」から、いま明らかになった、善光寺と諏訪大社との密接な?がり! - 知られざるミステリー
目次
-
はじめに 次々に浮上する守護秘術
第一章 御柱の結界に守護される善光寺
■善光寺三鎮守は、みな諏訪大社の分社
■「善光寺四鎮守」では、御柱祭が持ち回りで開かれている
■「善光寺四鎮守」は四本の御柱に相当
■御柱の結界が善光寺を守護している
■なぜ、善光寺と諏訪大社なのか?
第二章 善光寺境内の弥栄神社は、秘められた諏訪社か?
■弥栄神社の祇園祭は、善光寺の鎮守祭か?
■祇園祭に、なぜ聖徳太子が関係するのか?
■聖徳太子宮は、善光寺本堂と同じ撞木造り
■弥栄神社と聖徳太子宮は「諏訪大社の祭神」でつながっている?
■弥栄神社は、いつの間にか改称されていた
■もう一つの弥栄神社でも改称され、御柱まで行われている
■弥栄は、諏訪大社祭神ヤサカトメノミコトに由来する
■弥栄神社の斎藤神主家は、諏訪大社の金刺氏の出身
■かつて斎藤神主家には、諏訪社が存在していた
■弥栄神社の祇園祭に、なぜ兄部坊が関わるのか?
■兄部坊の出自は、諏訪大社下社秋宮の神主家
■斎藤神主家、兄部坊、聖徳太子宮、弥栄神社、全てが「ヤサカ」で共通
■諏訪大社・金刺氏の祖先は、金刺宮で善光寺如来と対面していた?
■斎藤神主家の諏訪社は、どこに消えたのか?
第三章 善光寺大本願の文殊堂は、オマージュとしての諏訪社か?
■善光寺が「無宗派の寺」といわれる由縁
■善光寺大本願の文殊堂の中に、なぜ普賢菩薩が?
■諏訪大社祭神の本地仏は、普賢菩薩と文殊菩薩
■文殊堂は、北向き諏訪社の再来か?
■注目すべき鷹司誓玉上人の若き日の論文
■善光寺大本願初代尼公は、諏訪大社社家の子孫か?
■文殊堂はオマージュとしての諏訪社か?
■水の守護神を祀っている文殊堂
■なぜ普賢堂ではなく、文殊堂なのか?
■神道系に彩られた善光寺大本願
第四章 善光寺内で繰り広げられる諏訪神事
■堂童子の善光寺秘儀とは何か?
■御越年式のメンバーは、諏訪大社神官の子孫が中心
■善光寺内で行われる「神道ノ源秘儀式」
■善光寺秘儀には「善光寺四鎮守」が全て関わっている
■四門固めは、諏訪御柱の変形か?
■秘儀に関わる駒形嶽駒弓神社も、諏訪大社の分社
■御越年式は善光寺の守護神事
第五章 鎮魂と火防の守屋柱
■本堂内で、唯一の角柱・杉柱である守屋柱
■善光寺如来と物部守屋との因縁
■守屋柱は存在しない?
■守屋柱は「屋を守る柱」なのか?
■守屋柱の下には、物部守屋の首が埋められている?
■守屋柱は荒安の鎮守の森から伐り出された
■荒安の飯縄神社は「火防随一」の神社
■なぜ守屋柱に「火防」が託されたのか?
■度重なる火災と再建の悪循環
■松代藩に託された、失敗の許されない再建工事
■物部守屋の鎮魂と、怨恨から守護への転換
■「火防随一」の守屋柱の絶大な御神徳
■松代藩監督トップと飯縄神社神主に、共通のルーツが
第六章 善光寺の守屋柱と、諏訪大社の守屋山
■守屋山は、諏訪大社上社の御神体
■神体山の頂上付近に、物部守屋神社が鎮座
■諏訪の地は、かつて物部守屋の所領であった?
■物部守屋の子は、諏訪大社神長官の守矢家を継いだ?
■物部守屋と守矢家との関係・肯定説
■物部守屋と守矢家との関係・否定説
■守矢家当主は、物部守屋との関係を記していない?
■『神長官守矢史料館のしおり』には、物部守屋との関係が「明記」されている
■「否定説」の背景にせまってみると……
■諏訪大社上社は、物部守屋を祀っている?
■守屋山の物部守屋神社は、諏訪大社とは関係なく、伊那の守屋氏が祀ったもの
■守屋山の山頂に、守屋神社は存在しない
■敗れたものの悲しみを知る神々
■善光寺の守屋柱と、諏訪大社の守屋山の共通点
■守屋柱の背後に見え隠れする諏訪大社信仰
■守屋柱の設置には、斎藤神主家も関わっていたか?
第七章 なぜ善光寺の回向柱は、御柱と酷似しているのか?
■「御柱」が二年続けて開催される町
■回向柱と御柱の起源
■松代における諏訪神社の多さ
■諏訪大社信仰が浸透していた松代
■武田信玄と松代と諏訪大社
■回向柱も御柱も、同じ六年周期(七年目ごと)
■回向柱の周期は、御柱の完全な追随
■善光寺境内に実在した御柱
■回向柱の形自体も、御柱を追随している
■回向柱の本数も、御柱を追随している?
■小さな回向柱も、諏訪社と関係しているか?
■回向柱は御柱そのものか?
■善光寺結界の中心に立てられる「中回向柱」
■多義的・重層的な解釈が可能な「中回向柱」
第八章 守屋柱+回向柱=御柱
■なぜ松代藩は、回向柱を奉納するようになったのか?
■守屋柱と回向柱の、さまざまな共通点
■守屋柱と回向柱は、形も長さも材質も同一
■回向柱の「回向」のもう一つの意味
■ツインの角柱の絶大な御利益
■善光寺に対する松代藩の思い入れ
■守屋柱と回向柱は、ツインの御柱
■火防の「火」と「水」が、守屋柱・回向柱・御柱の共通項
第九章 諏訪町のそばに、善光寺が存在していた?
■なぜ長野市街に、諏訪町があるのか?
■善光寺の創建時に「諏訪」が深く関係している
■善光寺はかつて東向きであった?
■善光寺の正面は東門であった?
■善光寺如来は西にいて東を向いていた
■善光寺は、いつ東向きから南向きに変わったのか?
■善光寺境内の西方への偏向性
■新旧善光寺の西方に、新旧西方寺が存在した?
■新旧善光寺の西方に、諏訪町と新諏訪町が存在した?
■後町の名の由来は「善光寺の後ろ」からか?
第十章 善光寺に、なぜ「諏訪」なのか?
■なぜ善光寺を守護しているのか?
■善光寺の守護は、朝廷からの勅命か?
■神秘的な仏縁が、善光寺守護の遠因か?
■諏訪善光寺住職が主張する「善光寺如来異聞」
■なぜ、知られずにきたのか?
■秘められてきたというよりも
おわりに 神仏習合という和風のかたち
引用文献一覧
図版出典
あとがき
著者略歴
-
長尾 晃(ながお あきら)
美術研究家・建築家(一級建築士)
1965年 長野県生まれ。
1990年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(芸術学修士)。
1996年 長尾晃建築研究所設立、現在に至る。
著書に
『神秘なる乙女の画家の物語 ─信州松代藩 恩田緑蔭アンソロジー─』(第一企画)
『庭園都市まつしろ ─武家屋敷の庭園と町屋─』共著(夢空間)
などがある。
HOME>善光寺コード