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2420円(税込)ページ数
400ページ発行日
2020年3月5日ISBN
978-4-86265-799-2マスコミ掲載・書評
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微笑む言葉、舞い落ちる散文 —ローベルト・ヴァルザー論
新本史斉
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なぜ、ヴァルザーはかくも重要なのか?
20年以上にわたるヴァルザー読解を通じて、今、この問いに答える。
多くの作家たちに愛されつづけたヴァルザーの文学的闘いの足取りを多様な方法で浮かびあがらせる。 - ヴァルザーの散歩文、散文は世界にふたたび新たに生を吹きこむための絶えざる運動なのだ。そしてその下には深淵が広がっている。動き続けることをやめるや、「僕」はそこに呑みこまれてしまうだろう。以降、ローベルト・ヴァルザーは、ヘリザウの精神療養施設でペンを置くまでの三三年間、この決死の運動を続行する。本書は、この運動が、その時々にどのような形態をとって続行されていったかを叙述しようとする試みである。(本書第一部「序章」から)
目次
- 第一部 『ローベルト・ヴァルザー作品集』を読み解く
序 章 「散歩文」の原風景―散文小品『グライフェン湖』を読む
第一章 「母の言葉」と「王子言語」のあいだから生まれる虚構言語 ―初期小劇『白雪姫』を読む
一 童話の終わろうとするところから始まる童話劇
前史、それとも、先行テクスト?
制度としての「童話」、批評としての〈メルヒェン〉
二 白雪姫の、そして〈メルヒェン〉の病
「楽園」それとも「法の廷」?
ある新たな「メルヒェン」の生活史
劇中劇、それとも、劇中劇中劇?
三 王子、あるいは、意味の小人
〈癒え〉への媒介としての「王子言語」
「像」ばかりを見る視線、「意味」としての「官能」
世界を表象し続ける「王子言語」をくぐり抜けて
四 〈かたり〉としての語り
肯定/否定のかなたで肯定すること
「物語」を断ち切る〈おしゃべり〉
表象言語を中断する〈沈黙〉
第二章 「母の言葉」の喪失を埋めてゆく散文―ベルリン時代の長編小説『タンナー兄弟姉妹』をその前史から読む
一 カフカとベンヤミンの読む『タンナー兄弟姉妹』
二 失われた「母の言葉」をもとめて―『タンナー兄弟姉妹』の前史としての初期小劇
「芸術」からの別れ、「樅の森」での死―『少年たち』
「言葉の砂の中の魚」―『詩人たち』
「判断」する言語から「微笑む言葉」への転回―『白雪姫』
三 幸福を伝える無価値な言葉 ―『タンナー兄弟姉妹』における生の肯定
「生の扉の前」で生きられる〈生〉
「強い芸術家」から差異化すること、「弱い詩人」を弔うこと
「ふたたび・はじめて」出会う世界に酔い痴れる言葉
〈「母の言葉」の不在〉を書き続ける無価値な言葉
第三章 「大ベルリン」vs「小ヴァルザー」―ベルリン時代、ビール時代の散文における差異化の運動を読む
一 二〇世紀の世界都市ベルリンでの成功と失敗
二 大ベルリンの芸術家から差異化するヴァルザー
大都市における遊歩の夢
ベルリンを生きる芸術家 三 兄カールから差異化する弟ローベルト
「キッチュ」と「クッチュ」、あるいは、一母音分の差異にこめられたもの
主体を確保するためのアイロニーと自らを笑い飛ばすアイロニー
鞄男と部屋男、あるいは、非日常に素材を求める者と日常を探索する者
「至高の美」を無視する寝そべった詩人
四 『ヤーコプ・フォン・グンテン』、あるいは、長編小説という大形式からの落伍
『タンナー兄弟姉妹』を誤読するモルゲンシュテルン
小さな主人公、卑小な長編小説を実現すること
クラウス、あるいは、「一義的存在の化身」
ヤーコプ、あるいは「性格過剰ゆえの非性格」
差異化しつづけること、主体化しないこと
五 〈不幸の詩人〉の幸福―クライスト、ビュヒナーを読むヴァルザーを読む
二〇世紀初頭における〈不幸の詩人〉の再発見モード
幸福なクライスト、笑うビュヒナー
『いばら姫』、あるいは、一〇〇年後に想起される詩人たちの幸福
第四章 「はじめて書きつけた慣れない手つきの文字」に出会うための散歩―ビール時代の中編作品『散歩』を読む
一 小説のかけない小説家
二 『散歩』改稿について
三 小都市、あるいは「過程/審問」としての散歩
四 「散歩の思考」、あるいは「幸福」と断絶することなき「知」の方法
五 「字を書く子ども」、あるいは、書くことの初源の場に出会うこと
六 鉛筆書きの方へ
第五章 「ミクログラム」のもたらす幸福 ―ベルン時代の長編小説『盗賊』を読む
一 秘密文字からテクストへ
二 「手の危機=批評」から生まれる鉛筆書きという「手仕事」
三 「ミクログラム」のもたらす二重の幸福
四 「恋愛小説」の不可能性に抗して
先送りと並置
書くことをも内包する「愛」の不可能性
「語り手」と「主人公」の曖昧な関係
作者のポケットから落っこちてくる長編小説
説教壇から落下する語り手
大きな大きな寸評
散文の破片から破片への運動
五 肖像画から鉛筆書きの断片へ
第二部 翻訳からヴァルザーの原作を読み直す
第一章 『白雪姫』全訳
第二章 「イメージ」、「意味」、「物語」の/に抗する、レトリックを翻訳する―『白雪姫』の英・仏・日本語翻訳比較分析
一 「イメージ」という語の反復がもたらす反イメージ的抵抗を翻訳する
二 「意味」という語の反復による意味フェティシズム批評を翻訳する
三 「物語」という語の反復による「現実/虚構」の二元論の解体を翻訳する
四 翻訳は翻訳史を反復する
第三章 絵で描く存在を文字で描く存在を翻訳する― ベルン時代の散文小品『ヴァトー』を読む
一 生の歓びを描くヴァトーの生の歓びを描くヴァルザー
二 『ヴァトー』のレトリックの翻訳不可能性と演出可能性
三 彼方からの眼差しにのぞきこまれること
参考文献一覧
〈小ささ〉から生まれる世界文学 ― あとがきにかえて
著者略歴
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新本史斉(にいもと・ふみなり)
1964年広島県生まれ。
専門はドイツ語圏近・現代文学。翻訳論。
現在、津田塾大学教授。
訳書:
『ローベルト・ヴァルザー作品集』1巻、4巻、5巻 (鳥影社、2010年、2012年、2015年)
イルマ・ラクーザ他編『ヨーロッパは書く』(鳥影社、2008年、共訳)
ペーター・ウッツ『別の言葉で言えば』(鳥影社、2011年)
イルマ・ラクーザ『もっと、海を』(鳥影社、2018年)他。
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