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季刊文科
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季刊文科編集委員によるコラム「砦」を一挙公開。

季刊文科51号 砦

松本道介

 「季刊文科」の今号(五十一号)に「『天人五衰』最終章」という文章を書いた。この章は長篇小説「豊饒の海」全四巻の最終章でもあり、全四巻のすべてをなかったことにしてしまう章だから、初めて読んだ時には驚いたし、今現在も驚きかつあきれてもいる。
 それと同時に、月修寺での修業によってすべてを忘れきり、おそらくは”悟り”に達したであろう聡子、現在は門跡という地位にあるこの尼僧の境地、「それも心々(こころごころ)ですさかい」という言葉に含まれる大いなる悟りを考えると、三島という作家がどうしてこんな言葉を書きえたのかと不思議な思いにかられる。
 第一巻に登場する聡子はそれほど強い性格の持ち主ではない。清顕という少し年下の青年との結婚を望みながら、はっきり言い出すことのできない少女にすぎなかった。洞院宮との結婚話が進んでもこれにあらがうことのできない、おとなしい少女であった。
 洞院宮との婚約に勅許がおりた時、清顕は絶対の不可能という観念に恋をしたにすぎなかったが、聡子自身も恋心は抱いていたから、"かくれが"での密会にも応じて、妊娠、そして堕胎、剃髪という経過をたどり、月修寺に入ったときは、世を捨てる覚悟をしっかり固めていた。
 聡子は俗世の出来事一切を忘れた。その忘却の言葉を聞いて、みずからの過去一切をなきものにされる恐れを抱いた清顕の友人本多に対し「それも心々」とさとす言葉の深さ、仏教で言う唯識の日本語とも思われるが、この言葉には翻訳語につきまとう観念が一切なく、われわれの先祖の用いてきた根生いの言葉としての慰さめも悟りもたっぷりと含んでいる。これに較べて輪廻転生とか永遠平和とかいう翻訳語のなんとうつろであることか。

大河内昭爾

 十年以上前のことになるが、心理カウンセラーの人々に招かれて「私小説」の話をしたことがあった。聴衆は四、五十人もいただろうか。その手の話をするのは不得意ではないつもりだったが、その日の反応はさっぱりだった。
 終わってから質問があればどうぞと言ったら、出てきたのは、その小説の主人公は何人兄弟ですかとか、両親の職業は何でしたか、それに主人公の血液型は何でしたか等々、文学好きの人からはまず出ない質問がつづいた。
 こちらが答えられないことばかりだ。血液型など私小説に書いてある筈もないし、兄弟が何人かなど、そんなことを知って何になるのかと聞き返したら、心理学の分析には兄弟が何人で何番目かといった外面的な条件が大事だという。
 一方、文学は内面的というのか、心理学以前の心理それ自体を常時考えているし、常時筆にもしている。実感の無いところに文学はないと言ったら、実感などというあやふやなもので心理学はやれないと反論された。
 考えてみれば、文学というものには実感しかない。味わいとか余韻とかいう、いわく言いがたいものこそが文学の一番大事な部分なのに、心理学はサイエンスとして数値化出来ないものなど避けて通る傾向がある。
 私は心理学を改めて勉強したことはないし、関心もない。人間の心理は心理学などというサイエンスによって解明出来るものなのか、という疑問だけが、やりとりの間に大きくなっていく。
 心理学を学ぶと就職にいいらしい。会社などにもウツ病をわずらう患者はふえる一方だと聞いている。そうした患者あるいは患者予備軍の心のケアとやらを、文学への関心など一切ないどころか文学を無視し否定するような人々に任せてよいものかどうか。いや任せる、任せないは別として、心の整理のつかぬところを、ああでもない、こうでもないといじくりまわすのが文学であり、心理学の対象であると私など思い込んでいた。

勝又 浩

 昨年の一〇月三〇、三一日、徳島県三好市で「全国同人雑誌フェスティバル」というものがあった。内容は三好市が主催する「第四回富士正晴全国同人雑誌賞」「高等学校文芸雑誌賞」の授賞式と記念講演に阿刀田高、それに合流した形の「全国同人雑誌会議」と「文芸思潮」が主宰する「全国同人雑誌最優秀賞まほろば賞」の公開審査会というものである。招かれて「季刊文科」からも百瀬精一社長、編集の小野英一、それと松本道介、私勝又が参加した。参加者は二百人を超えたそうだ。
 三好市は「VIKING」を主宰した富士正晴の出身地だが、また大歩危小歩危の景勝で知られた観光地でもある。会場のホテルも山深いところにあって、その幽邃な空気に私は先ず感動した。それで、こういう所に住みたものです、と洩らしたら、即、教育長氏に、空き家がたくさんありますから何時でもご紹介します、と言われてしまった。決してお世辞を言ったわけではなく、叶わぬ憧れが思わず口を付いて出たのだが、我が軽薄を恥じるほかなかった。
 ところで、日ごろ文学などは所詮閉籠もってうじうじとやるものだと思っている私は、人が集まるイベントの類には懐疑的な方だが、それでも出てみればそれなりの刺激や感想を誘われて、こういうものはたまにはいいかと思った。その一つは、かねて活字でばかり知る人に直接会えたことで、初対面でも一種不思議な連帯感のようなものが生まれて、近しい仲間との交流とは違った人間関係というものを知った。
 その後幾人かの人から、会の進め方についての不満や注文も聞いたが、大勢の人を集めることと、実のある議論をすることの両立は、どんな会でも難しいことだ。
 なんだか報告にもならなかったが、記念のために書いておくことにした。

松本 徹

  歌舞伎には、難物とされる狂言が幾つかあるが、その一つが「摂州合邦辻」だろう。
 ヒロイン玉手御前は、義理の息子俊徳丸に恋し、毒酒を飲ませて難病にし、彼が家を出ると、天王寺坂下の合邦辻の自分の親の家まで追って行く。そこに俊徳丸と許婚浅香姫が潜んでいて、大詰を迎えるのだが、道を外れた恋に狂うわが娘を、父親の合邦が刺す。と、玉手御前は一転して、俊徳丸に恋を仕掛けたのは、家督を狙う異腹の兄の魔手から逃れさせるための手立てだったと語る・・・・・・。
 玉手御前の恋は、真実だったのか方便だったのかが問題にされ、役者はこの難問に舞台で答を出さなくてはならない。その答の出し方だが、これまではもっばら女の心理においてであり、本気か偽りか、その間の揺れか。歌右衛門にしろ藤十郎にしてもそうであった。
 ところが昨年師走、日生劇場で尾上菊之助が見せたのは、別であった。
 「ヤア、恋路の闇に迷うたこの身、道も法も聞く耳持たぬ、モウこの上は俊徳様、何処なりとも連れ退いて、恋の一念通さで置かうか、邪魔しやったら赦さぬぞ」
 心理の殻を突き破り、真っ向正面、唐竹割に、猛々しく言い放った。この時、恋に狂った女という恐ろしくも限りなく美しい化物が、ヌゥーと出現したのだ。
  かかる化物ならば、父親として殺すよりほかあるまい。わが国の文芸は、こうした美しい女の化物を、幾人か出現させて来たが、菅専助ら作者は、物語の整合性も踏み破って挑み、見事に成功したのだ。そのところを菊之助が的確に受け止め、その若さと美貌、なによりも鍛えられた女形芸でもって、見事に舞台の上に出現させたのである。
 歌舞伎の世界が大きく広がるのを感じたのも当然だろう。

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